きっかけはタイ vol.9
タイから繋がるライフストーリー
川端 隆志 さん
◆ピアニスト
37歳で脱サラ。
一度は諦めた音楽の道を再びバンコクで。
Q あなたにとってのタイとは?
新たな人生を歩むチャンスを
与えてくれた場所
Takashi Kawabata
1980年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。アメリカのサンフランシスコ州立大学音楽学部ピアノ演奏科修士課程修了。卒業後、主にカリフォルニア、日本、タイにてソリスト、室内楽奏者、伴奏者、ピアノ講師として活動。一旦、音楽の道を諦め会社に勤務。タイ駐在時にサロン・オ・デュ・タンでリサイタルを行う。37歳で脱サラ。再び音楽の道へ進むことを決意し、2019年よりマヒドン大学博士課程(Doctor of Music in classical piano performance and pedagogy)に在籍。
ピアニストの夢を断たれて
 
現在の師 中川恵里先生と(2019)
ー ピアノとの出会いは?
 
母親がピアノ教師でしたので、自然とピアノに親しみ、練習するというよりはピアノで遊んでいたように思います。最初は遊びだったピアノも、物心つくころには母から厳しい練習を要求され小学6年生までは大嫌いでした。そんな中、映画「アマデウス」に衝撃を受け、ピアノに対する接し方が変わりました。当時は、テーマである〝才能への嫉妬〟といった難しいことはわかりませんでしたが、モーツァルトが宮廷楽長の才能のなさをピアノで小ばかにするシーンを見て、ピアノでこんな面白いことができるのかと(笑)。中学2年生のころには、プロのピアニストになりたいと思っていましたが、「音楽で飯を食っていくのは不可能だ」と両親に反対され、普通科の高校に進み悶々とした毎日。趣味としてのピアノは許されていたので、毎週片道2時間かけてレッスンに通っていました。
 
ー では大学は?
音楽以外で得意なのは英語しかなかったので京都外大に行ったのですが、頭の中は常にピアノでいっぱいで、ピアノが置いてある教室に忍び込んではひたすら弾く毎日。学生部の職員や警備員に怒られてよく追い出されましたが、翌日にまた忍び込むの繰り返しで。大きな音を鳴らすと気付かれるため常にpp(ピアニッシモ)で練習したのを思い出します。
アメリカ留学で念願の音楽を
 
在学中に派遣留学に合格して、1年間の奨学金を得てアメリカに留学し、かねてから興味のあった映画製作を専攻しました。取得単位の関係で別の授業も受ける必要があり音楽学部を訪ねると、事務所のドアはすでに鍵がかかっていて、帰ろうとした矢先に出てきてくださったのが学長であり高名なピアニストのロジャー・ウッドワード教授で、3日後にオーディションがあるから来るようにと。試験にパスしてピアノを勉強できることになりました。その年に大学から選ばれて、第2回イグナチオ・セルバンテス国際ピアノコンクールに参加したのですが、結果はセミファイナリスト。自分の演奏に満足できず、もっと勉強したいと強く思いました。気づけば、映画より、ずっとやりたかった音楽ができる幸せのほうが大きく、これを機に大学院に進む決意をし、ウッドワード教授のもとでピアノを学ぶことになりました。表現の自由に寛大で個性が発揮できるアメリカは自分に合っていましたし、何より音楽を学べることに充足した留学でした。
タイで「駐在員ピアニスト」
ー その後演奏家に?
大学院を卒業後帰国して、演奏活動や生徒さんを教えながらコンクールを受ける日々でしたが、なかなか結果が出せず、また両親との長年に渡る確執も浮き彫りになり、精神的にまいって自暴自棄の生活に。アルバイト生活をしながらなんとか音楽活動を続けましたが、将来への不安が拭いきれず、最終的に会社員になりました。すでに31歳。社会人経験のほとんどない自分がこれからサラリーマン、それも商社の営業ができるのかという不安を抱えながらでした。
タイに赴任したのは2012年です。取引先関係の奥様がピアノをやっていらしたことから、音楽家でありバンコクでサロンを主宰されている加古川成子さんとお引き合わせいただき、翌年にはサロンでリサイタルをさせていただくことになりました。「サロン・オ・デュ・タンが応援する演奏家シリーズ」の第1回目でした。
会場は満員御礼で約50人の方が聴きにきてくださいました。誰もが楽しめる曲をというご要望に応じてジブリの音楽などを盛り込んだプログラムで、ご好評いただきました。このリサイタルで、自分の演奏をひとに喜んでもらえたことが、大きなエネルギーになりました。
「駐在員ピアニスト」としてサロンでの2回目のリサイタルが2017年1月。私の希望で玄人好みのザ・クラシックという選曲で構成したのですが、仕事の合間を縫っての練習で、十分に練習できなかった自分に歯がゆい思いが残りました。ピアノは毎日の練習、鍛錬がものをいう世界です。人前で演奏する恐ろしさを改めて痛感し、中途半端な状態で舞台に上がってはいけないと強く思いました。
写真①:今年1月のソロリサイタルのポスター 写真②:転機になったサロン・オ・デュ・タンでのリサイタル 写真③:大学院の仲間たちと
37歳の脱サラから
ー 現在はタイの大学院生?
マヒドン大学で行われたコンサートにて。シューマンのピアノ協奏曲を演奏 2019年8月
はい。その後ストレスで入院を繰り返し、自分の人生を取り戻す必要性を感じ、会社を辞め、一旦帰国しました。37歳の脱サラです。帰国直後に妻から妊娠の報告を受け、一度挫折した音楽の道をまた歩むのは、かなり勇気のいることでしたが、サロン・オ・デュ・タンの成子さんに紹介していただいたマヒドン大学の中川恵里先生に弟子入りをお願いし、大学院入試のオーディションを受けマヒドン大学博士課程に入学したのが昨年6月です。中川先生をはじめ、錚々たる教授陣と志を同じくする仲間たちに恵まれ、学びたいことを学べる環境があることの素晴らしさを実感する毎日です。キャンパスも素晴らしいですよ。昨年8月に大学内のオーディションに合格して、同月、シューマンのピアノコンチェルトを演奏しました。ピアノコンチェルトはピアニストにとって憧れです。それがこんなに早く叶えられるとは思ってもみませんでした。オーケストラとの共演は初めてでとても緊張しましたが、3ヵ月間必死で取り組んで演奏に臨みやり通した、それが自信になりました。演奏自体は決して納得いく出来ではありませんでしたが、ベストを尽くすことができ、これまでで最高の機会をいただいたと思っています。ただ、公演の1ヵ月前に左足のじん帯を損傷して、松葉杖をついてのステージだったんですよ。無事終わってホッとしました(笑)。
ー 人生の本編の始動ですね。これからの目標は?
ソロだけではなく優秀なオーケストラや才能ある音楽家とより多く競演できるよう、協奏曲、室内楽曲のレパートリーを増やし、研究を深めていきたいと思います。
ー ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子
写真/川端隆志さん提供
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