きっかけはタイ vol.3
タイから繋がるライフストーリー
豆生田 信一 さん
サラリーマンから落語家への転身を記念して撮った退職記念の一枚
駐在を機に劇団に。帰国後は早期退職
アマチュア落語家という人生!
Q あなたにとってのタイとは?
自分らしさを思い出させてくれたところ
Shinichi Mameuda
在タイ期間:2011〜2014年。アマチュア落語家・三遊亭遊助として活動中。1957年生まれ。東京大学経済学部卒。ミシガン大学MBA取得。(株)横浜銀行を経て総合警備保障(株) (ALSOK)に勤務。2011年ALSOKタイランド社長としてバンコクに赴任。劇団サザン天都に入団し役者として●作品の舞台に立つ。本社帰任後、落語教へ。2018年同社を60歳で早期退職しアマチュア落語家としての活動に専念。創作落語に新機軸を打ち出し、高座数は160回にのぼる。


バンコクで劇団に
ー ALSOKタイランド社長としてタイに赴任された翌年にバンコクの日本人劇団・サザン天都に参加されています。入団のきっかけは?
ゴルフができなくなったことです。赴任してから仕事の一環としてゴルフをやっていましたが、ある時、手首に異常を感じて医者に診てもらうと「あなた、ゴルフへたでしょ?」と。ムッとしましたが確かにボールではなく地球を叩いている状態でした。筋を傷めているのでゴルフはやめなさいと医者に言われ、これ幸いとやめました。
そうなると、単身赴任ですしヒマじゃないですか。部下の一人が劇に出ると言うので行ってみたら『オズの魔法使い』でした。観たところオレでもできるんじゃないかと思いました。しかし社長といっしょでは気詰まりであろうと入団は言い出さなかったのですが、間もなく彼が異動することになり、劇団主催の送別会に顔を出したその時に「男性役者がいなくては何かと不便でしょう」と入団の意向を申し出ました。2012年、55歳でした。
3月に入団し6月公演が初舞台で、木の妖精の役がつき、台詞も動きもなかったですが、目線も動かさず樹木になりきって演じられたと思います。
ー 初舞台の感想は?
気持ちよかった!子どもの頃から人に見られるのが好きだったんですよ。次の9月公演は宇宙船の船長の役で7個の台詞があり、12月は『ピノキオ』でゼペットじいさん。その後も毎回参加して、バンコク最後の公演は『クリスマス・キャロル』の主役スクルージ。台詞は140個ありました。
 
ー 社長としてご多忙のところ、台詞を覚えるのは大変ですね?
風呂の中で台本を読んで覚えました。風呂から出る頃にはお湯がぬるま湯になっていましたけどね。そうやって、1週間で覚えてしまいました。最初の読み合わせの時にすでに台詞が入っていたので、主役の矜持を見せたと自負しています。
バンコク駐在時代の最後の公演『クリスマス・キャロル』で主役スクルージを演じる豆生田さん。2013年12月
帰任後は落語教室
ー 帰任後も演劇活動を?
日本でも表現芸術をやっていきたいと考えていました。ですが、演劇は日程的に厳しい。タイでは社長だったので日程調整が可能でした。しかし日本では本社の一部長。同じようにはいきません。大勢でやる演劇は稽古に参加できないと迷惑になります。ならば一人で練習できる落語をと、三遊亭遊三師匠の落語教室に入りました。教室は月に1回開講されていて、今も通っています。習い始めた翌年に初高座、2016年には独演会をやりました。初年度に務めた高座は60回でした。
ー すごい! どんな落語を?
結婚式の披露新に招かれて新郎新婦のなれそめを落語にして披露することもあるし、カミサンの母親の葬式の時には義母の人生物語を落語にしました。聖書を題材に落語を創作して教会で高座をやることもあります。物語があればなんだって落語にできると私は考えています。
「落語de社史」は創業の苦労物語の落語です。ロータリークラブの依頼で公演した時に社史を落語でという案を話したら、その場で来場者から高座の依頼が舞い込んで。私には37年間のサラリーマン生活があるからこそ、創業者のご苦労を察することができると思うのです。生粋の噺家さんには分かりにくいことも、経験的に推測できますからね。
ー 創作落語をわずか1年で…
落語は小学生の頃から好きでした。テレビの寄席番組を見て覚えてしまった三遊亭圓歌師匠の「授業中」を法事で披露したら、親戚のおじさんおばさんが喜んで、お小遣いをもらったことがありました。子どもの頃から人前で演じること、喜ばすことが好きで、芸歴を遡れば4歳の頃。「ペコちゃん」と言って舌を右に出す。すると大人たちにオオウケで、それがうれしかった。
本来自分は表現することが好きだった。それを思い出させてくれたのがバンコクの演劇体験だったのです。
好きな道を歩む人生を選択
 
「落語をやってよかったと思うのは、落語の場合、評するとかではなくて“楽しかった”などご自分の気持ちを言っていただけることです」
ー 今後やりたいことは?
今、取り組んでいるのは郷土史の逸話の落語化です。幕末の横浜村と東海道を結んだ「横浜道」の難工事の話で、その工事を遂行した地域の有力者の子孫である行員時代の先輩から依頼されました(6月9日に発表)。もう一つは海外公演。英語落語を海外でやってみたいですね。
ー 帰任後も演劇活動を?
日本でも表現芸術をやっていきたいと考えていました。ですが、演劇は日程的に厳しい。タイでは社長だったので日程調整が可能でした。しかし日本では本社の一部長。同じようにはいきません。大勢でやる演劇は稽古に参加できないと迷惑になります。ならば一人で練習できる落語をと、三遊亭遊三師匠の落語教室に入りました。教室は月に1回開講されていて、今も通っています。習い始めた翌年に初高座、2016年には独演会をやりました。初年度に務めた高座は60回でした。
ー ありがとうございました。
取材・文・写真※/ムシカシントーン小河修子
写真提供/劇団サザン天都、豆生田信一
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