きっかけはタイ vol.4
タイから繋がるライフストーリー
新田 咲子 さん
自宅店舗の前で。現在は予約制
手仕事が好き、タイが好き。
チクチク縫って人とものを繋ぐ場に。
Q あなたにとってのタイとは?
本来の自分に戻れる場所
Sakiko Nitta
1965年大阪生まれ。武庫川女子大学薬学部卒。SaaLaa Shop & Atelier(サーラー〜ショップ&アトリエ)主宰。在タイ期間2002年6月〜2009年3月。帯同家族として、2人のお子さんを連れて約7年間バンコクに暮らす。本帰国後の2013年、アジアン雑貨をアレンジした商品やオリジナル製品を販売する店を、横浜の自宅を改装してオープン。昨年から、各地のイベントに出向いて出店するSaaLaaキャラバンを開始。手仕事のワークショップなども行っている。
バンコクで久しぶりの針仕事
ー 駐在生活を始めた2002年当時のバンコク生活はいかがでしたか?
日本のテレビではタイというと大きな川が映されるので、私たちも水上生活になるのかと思っていたくらい何も知らず始めたタイ生活でしたが、下の子がバーンラック幼稚園というシュタイナー幼稚園に通うようになって、理念に基づいた教育に力を入れているタイ人の園長先生、タイの伝統音楽やタイ舞踊の先生方と接する機会を得てタイ社会での世界がぐっと広がりました。幼稚園は子どもだけでなく、私自身を高めてくれる場所になっていました。
園では給食で使うランチョンマットを親が作ることになっていて、本当に久しぶりにクロスステッチを刺して作りました。ウォルドルフ人形を作るワークショップもあって、手芸部のような気持ちで参加していました。
ー それが手仕事の事始めだったのですか?
もともと何かを作ることが好きで、高校の時から自己流で服を作ったりしていました。当時は美大に行きたかったのですが、早く経済的に自立したい気持ちが強かったし、化学が好きだったこともあって進学先は薬学部に。手先が器用だったので、解剖の授業はいつも一番に終わっていました。でも、薬学はどうしても好きになれなかった。卒業後は医薬品輸入業の管理薬剤師として総合商社に入社して、薬関係の商品の輸入、通関から販売まで担当していました。それが今の仕事に生きています。原価と販売価格の関係が感覚的に分かりますから。
横浜の自宅にサーラー開店
ー 帰国後にお店を開くことは念頭にあったのですか?
いいえ。まったく考えていませんでした。帰国してからはしばらくパートで薬剤師をしていたんですよ。
お店をやろうと決めたきっかけは「心のトリートメント」という母親のためのコーチング。のぞきに行ったところ「将来の夢を言ってください」と言われて……自分の夢なんて考えたこともなかったので、しばらく思案した結果、無理矢理口から出たのが「ギャラリーみたいなのをやりたい、と思っていました」でした。そしたら「なぜ今からじゃだめなの?」と。それで「そうか、今からでもダメじゃないかも」と、半年で準備して2013年6月に「SaaLaa(サーラー)」をオープン。タイのサーラー(東屋、休憩所)のように人が集まる癒しの場になるようにという願いから名づけました。
お店にしている1階の部屋はサーフボードを置く場所でした。夫の趣味がサーフィンなものですから。夫には何も言わずに(笑)、使うことにして、週に2回、火曜と水曜だけの開店です。
オープン前の2月に雑貨店をやっている先輩といっしょにタイに買い出しに行き、チャトチャック市場やヤワラート、チェンマイで仕入れながら、いろいろと教えてもらいました。
自宅1階のアトリエは主宰者の「好き」が満載の宝箱。青いシルクとシャツを組み合わせて、咲子さんらしい意匠で制作中
ー ゼロから始めるとなると大変ですよね…
私のおばが自分の店をやっていて、それを手伝ったり、間近で見ていたせいか、店を開くハードルは高くありませんでした。
バンコク時代はおばさんの依頼で、布や小物を買ってちょっとしたものを縫いつけてアレンジし日本に送っていました。チェンマイの手漉きの紙の封筒に端布をはってタイの風景を演出したものはとても人気がありましたよ。
ー すでにバイヤーでありプランナーだったわけですね。
幼稚園のバザーでも商品企画を(笑)。サーラーでも、仕入れたものをそのまま並べるのは好きではなくて、ボタンやポンポンをつけてひと手間かけています。
サーラーキャラバン
 
写真①:タイ伝統音楽の先生のご自宅でタイ楽器の演奏家たちと(2008年) 写真②※:クリスマスの時期に家族いっしょにバンコクのホテルで
ー 順風満帆でしたか?

その後開店は週1回に。オリジナルの洋服を作りたくなりソーイングスクールに通い始めたためです。以前から服は作っていたのですが、基礎から習ったことはありませんでしたから。それに、だんだん来る人が少なくなって「待ち」の時間がしんどくなったこともあります。
ある時「行きたいけれど、休みがなくて行けない」と友達が言うので「じゃあ、持っていってあげる」と出張販売をするようになりました。カービングを教えているバンコク時代の友人と松戸市のレストランの軒下を借りてアジアンマーケットを始めて3年、6回目を終えたところです。服屋さんやギャラリーのイベントに出向いて販売するサーラーキャラバンを昨年から始め、ブローチ作りのワークショップもやっています。
お店をやっていくことはしんどいし、時間的にもきつい。お金も薬剤師をやっていたほうがいいです。でも、自分の作ったものを気に入ってくれて、お金を出して買ってくれた上に、喜んでくださる。それはうれしいものですよ。
お店を始めて、これまで周りにいなかったタイプの人と知り合いになれたこともうれしいですね。脱サラしてパン屋さんを始めた人とか、もの作りをしている人たちとの繋がりは触発されます。
ー 今後やってみたいことは?
サーラーキャラバンで日本各地にいる友人を訪ねたいですね。タイテイストのあるオリジナル作品を作って展示販売したいですし、一から自分で作ったものを売っていきたい。本当に作りたいものはなんだろうと考えながら、しっかり企画したものを作っていきたいです。


ー ありがとうございました。
ボタンやポンポンをあしらってサーラー仕様の小物たち
取材・文・写真/ムシカシントーン小河修子
※印の写真は新田咲子さん提供
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