きっかけはタイ vol.6
タイから繋がるライフストーリー
馬場 心悟 さん
◆僧侶
タイの僧院で知った
「寺」と「人」のあたたかい距離。
Q あなたにとってのタイとは?
タイ比丘の優しさそのもの
Shingo Baba
僧侶。1982年山口県生まれ。下関市の水産大学校を卒業後、高野山大学に編入して僧侶に。2008年、タイ国開教留学僧として来タイし得度。タイ仏教の修行僧としてワット・リアップに止住し、同時に同年から2011年まで第19代日本人納骨堂堂守を務める。現在は高野山真言宗総本山金剛峯寺教学課に所属し、僧侶の教育活動・阿字観講習会・保育連盟の研修会開催などを担当している。

托鉢の写真に導かれて
ー 僧侶の道を選ばれた理由をお聞かせください。
山口県の山寺に生まれ、小さい頃から自然に囲まれた環境で、お経の声を聞きながら育ちました。しかし海が身近な下関という場所柄か海に惹かれ、水産大学校に進学。考えが変わったのは、大学を卒業する頃に祖父が亡くなってからです。自分も実家の寺を考えなくてはならないと思い、祖父がかつて修行した場である高野山(和歌山県)の教育機関である高野山大学に編入することにしました。
ー 高野山大学では何を学ばれたのですか?
僧侶になるための勉強は講義で仏法を学ぶだけではありません。最も大切なものの一つは、真言密教の僧になるための重要な修行である「四度加行(しどけぎょう)」です。約100日間にわたり行われる修行で、法衣のまとい方や数珠の置き方に至るまで所作とその意味を知ることから始まり、加行(さらに高い段階へ向かって努力精進する、その準備となる修行)の意味を深く理解するために学ぶのですが、それは師僧から直接伝授していただき受け継ぐものであって、本を読んで理解するのではありません。修行は厳しく、外の世界と連絡を取ることも禁じられます。その修行後に「伝法灌頂(でんぽうかんじょう)」という儀式を受けて、正当な教えを受け継いだことになります。真言密教は何よりも師との出会いが大切だということを学びました。
ー タイで僧侶になられたきっかけは?
四度加行の修行を終えた頃、大学の掲示板で「タイ国開教留学僧募集」という見出しを目にして、そこに添えられていた写真に衝撃を受けたことからです。黄色い衣をまとった比丘(修行僧)が、手には托鉢を持ち、素足で歩き、信者さまより供物を受けている。そういう姿がこの時代にも存在しているのかと。かっこよかったです。しかもその比丘は日本人で、前任者の方だということが後で分かりました。
それからは東南アジア圏で信仰されているテーラワーダ仏教についての文献を読みあさり、お釈迦さまの弟子たちは何を感じ、何に向かって歩いていたのか。そんなことを考える日々が続いて、数ヶ月後の2008年3月にタイ国に飛びました。
写真①:早朝の托鉢  写真②:日本人納骨堂でのお勤め(※※写真③:タイ語の師でもあった少年僧たちと
得度式からの新しい人生
ー 得度式はパーリ語ですね?
そうです。タイに着いて3週間後には比丘になるためにワット・リアップで得度式をすることが決まっていましたので、式に必要なパーリ語の手ほどきを先輩比丘から受けて毎日練習しました。当日は暗記した文言を間違えずに言えるか緊張しましたが、式が終わり一人の比丘として認められた時には、自分は生まれ変わり、ここから新たな人生が始まるんだという何とも言えない清浄な気持ちになったことを覚えています。
ー 僧坊での生活は?
薄暗いうちに托鉢に出て、30分から1時間くらい托鉢すると鉢がいっぱいになります。僧坊に戻ると7時に朝食。その後本堂で朝のお勤めで、パーリ語でお経をあげます。日本人納骨堂でお勤めをし、訪問者がいない時には、サーマネーン(少年僧)のクラスでパーリ語を学んでいました。少年僧はパーリ語の国家試験があるのでよく勉強していました。午前11時にその日最後の食事を取り、夕方にまたお勤めをし、その後掃除という生活です。
当時は携帯はなし、服装も僧衣だけ、食事は托鉢で寄進されたものを食べ、住いはお寺。つまりムダなことがなくて、わずらわしいものがない。今、その瞬間だけを考えて生きる、そういう爽快感がありました。
タイ語力ゼロで始まった生活でしたが、「これ、何? あれは?」と周りの僧侶や少年僧に尋ねて、しだいにタイ語能力が上がっていきました。その一つ一つが新鮮でしたね。
各地方の比丘の先輩たちの寺に連れていっていただき、瞑想体験などをさせてもらったことも得難い経験でした。
ワット・リアップの敷地内にある日本人納骨堂の前で
黄衣をぬぐさみしさ
ー 馴染んだ僧院生活の後、還俗された時のお気持ちは?
タイでは僧侶は尊敬の対象です。それは厳しく227条の戒律を守っていることの証である僧衣をまとっているからで、衣に守られていると感じていました。ですから僧衣を取ってしまうと、衣に守ってもらえなくなる。これから自分で生きていかなければならないのだと思い、無性にさみしかったです。
ー 最も印象深いことは?
3年と少し、タイで僧院生活をしていましたが、多くの先輩比丘に救われました。片言のタイ語しか話せない私にみな丁寧に教えてくれ、生活の一つ一つのルールも手取り足取り指導してくれました。ユニークな仲間が多く、気持ちが沈んだ時はおどけて笑わせてくれたりもしました。任期を全うできたのは、そんな仲間がいてくれたからで、彼等の優しさに救われたと思っています。今でもタイを訪れるとその優しさを思い出しあたたかい気持ちになります。


ー 今後は?

現在は高野山の金剛峯寺に務めていますが、いずれこれまでの経験を活かしながら、実家のお寺を盛り上げていくつもりです。タイのお寺のように、一般の人が、特に用事がなくてもちょっと立ち寄ってみたいと思えるお寺にしたい。そして気楽に話せる場をつくりたい。地域の心の拠り所になるようなお寺にしていきたいと思います。


ー ありがとうございました。
今年6月に行われたワット・リアップ教育基金伝達式に参列するために僧院を来訪。得度式をし毎朝お勤めをした本堂の前で(※)
取材・文・写真※/ムシカシントーン小河修子
写真※※/瀬戸正夫  ※印以外の写真は馬場心悟さん提供
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