きっかけはタイ vol.17
タイから繋がるライフストーリー
深澤 伸子 さん
◆日本語教師
保護者向けセミナーで(2019年)
日本語教育を軸に日タイの人々の
「生きる力」を育む活動へ。
Q あなたにとってのタイとは?
活動の拠点
Shinko Fukazawa
1952年新潟県生まれ。82年、帯同家族として来タイ。タマサート大学の日本語講師に。94年~2002年、国際交流基金で日本語教員養成プログラム「ルアムジャイ」を立ち上げる。日本語を学ぶタイの地方の高校生をバンコクの日本人家庭で受け入れ、日タイ双方の”生きる力”をエンパワーメント。「バイリンガルの子どものための日本語同好会」世話役、「タイにおける母語・継承語として日本語教育研究会」代表。
タイで日本語教師に
- 日本語教育に携わることとなったきっかけは?
香港で日系企業に勤めていた夫がバンコクに赴任することになったことを機に、小学校の教師を辞して、1982年にバンコクで暮らすことになりました。タイに来てみたら「友達いない」「知り合いいない」「やることない」で失語症になりそうで、これでは「ミセス深澤」になってしまう、打開するには自分の名前で生きるしかないと思い巡らせていた頃、日本人会のクルンテープ誌でタマサート大学が日本語の非常勤講師を募集しているということを知りました。

そんな経緯で日本語教師になり、翌年タマサート大学の常勤になり10年勤めました。
- 当時は日本のプレゼンスは強くても今のように身近ではなかったですよね。
バンコクにおける日本人とタイ人が分断されていると感じていたので、「タマサート友の会」を組織して、学生と日本人が接触する機会を作りました。友の会のメンバーに大学に来てもらい学生が校内を案内したり、日本人家庭に学生がホームステイしたりという活動です。
- その後は?
国際交流基金で8年間、タイの高校の日本語教員を養成するプロジェクトを担当しました。全国から集った20人の高校の先生が10ヵ月日本語と日本語教授法を学ぶというものです。日本での2ヵ月の研修もあり、実にハードなコースでした。
- 日本語教育の裾野を広げようという試みだったのですね。
ええ。当時、高校の先生で日本語の下地のある人はのぞめなかったので、当初は英語教師など語学を教えるスキルのある先生に来ていただく予定でしたが、実際は学校の都合もありそうもいかなくて、数学や体育など実にいろいろな先生方が参加されました。日本に接点のない先生たちが多かったので、バンコクの日本人家庭を訪問するホームビジットなども企画しました。私にとっては、タイの人とタイという国に出会ったと思えたプロジェクトでした。

時計回りに、タマサート大学の卒業式。学生と(1993年)、同大学の授業風景(1980年代)、タイ日国際児の大学生のための複言語複文化のワークショップ、バイリンガル教室の活動
タイ国内ホームステイプログラム「ルアムジャイ」
- 「ルアムジャイ」はユニークな活動ですね。
日本語を学ぶ地方の学生がバンコクの日本人家庭にホームステイするというこの活動は、国際交流基金を辞めて地方の教師会を回っていたときに、やる気のない生徒をどうしたらいいだろうと教師から相談を受けたのがきっかけでした。日本人と会う機会もない、就職の機会もない状況で、何事にもやる気のない学生に困り果て、ホームステイさせたら日本語を使うチャンスができてやる気がでるのではないかと、その先生はおっしゃったんですね。

それで2003年、南部ナコンシータマラート県から夜行列車に揺られて18人の高校生がバンコクにやってきて、日本人家庭で2泊3日過ごしました。学生も日本人のホストファミリーも、お互いに何が起こるのか分からないままの出発でした。

ここからドラマが始まりました。ホームステイを終えて変える前に解散式で集まったのですが、学生と日本人のホストマザーが泣き出したんです。別れるときに感極まって。その後送られてきた報告書には、学校に起きた変化が書かれていました。学生たちが遅刻しなくなった。日本語検定4級の試験を受けたいから立つ休みに特訓してほしいと学生たちが言い出した。お母さん(ホストマザー)と話したかったのに話せなかったから勉強したいと。何に対してもやる気のなかった子たちがです。

タイ国内ホームステイプログラム「ルアムジャイ」の解散式(2014年)
日タイ双方の「生きる力」をエンパワー
一方、日本人ホストファミリーにも大きな変化がありました。タイに暮らして初めてタイで人の役に立つ経験をしたと語る人、タイの地図で学生たちが住んでいるナコンシータマラートを確かめて、どんなところか知りたいという人...初めてタイを実感したのだと思います。

それから今まで1年途切れたことはありますが続いていまして、ホームステイ後に何年もつきあいが続いている家族もいるし、大学受験でバンコクに出てきたときに会いにきてくれたとか、本帰国の際にわざわざ地方からお見送りに来てくれたという話も聞きます。

ここ2年、コロナ渦でオンライン交流になってます。残念ながら今年も同様です。ただオンライン交流では思いもかけない学生たちの生活も知ることができ、予想以上に楽しい交流ができました。コロナがしゅうそくしたらぜひ現地を訪問してもらいたいです。
- 日本語教育支援という枠に収まらない活動ですね。
日本人にとっては、タイとのより豊かな繋がりが生まれて、ひいてはタイにいる自分を肯定することに繋がります。子どもたちにとってもタイのお姉さんやお兄さんと過ごした記憶はとても大きい。タイ人にとってもお互いに「生きる力」をエンパワーする取り組みとして捉えています。
- 日本人会の「バイリンガルの子どものための日本語同好会」、
「タイにおける母語・継承後としての日本語教育研究会」の活動もなさってます。
バイリンガル教室は、日本にルーツがありタイで暮らしている子どもたちの日本語教育のお手伝いから始まりましたが、なぜ日本語を学ばせたいのかを共に考えていった結果、アイデンティティを主体的に構築できることばの力を育成したいのだと気づき、現在はそのための体験型活動を親と子で創る、世界でも珍しい実践の場になっています。今、最も注力している母語・継承後としての日本語研究会での活動ともリンクしていて、複言語複文化の中で育つ子どものことばとアイデンティティの問題を、保護者、教師、日本の専門家とも連携して研究しています。
- ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子 写真/深澤伸子さん提供
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