父の任地のソウルで生まれて、その後はサウジアラビアとアメリカ。小学6年の夏に本帰国して初めて日本の学校に通いました。
小学校では「ガイジン」というあだ名で呼ばれました。あと半年で卒業するタイミングでの転入だったので、ランドセルは買わずに普通のバックパックで通学して他の子と違ったこともあったのでしょう。中学は帰国子女クラスのある私立の女子校に進学し、世界中のあちこちの国で生活経験のある子たちと一緒だったので、そんなことはありませんでしたが。
日本で大学卒業後に総合商社に就職しました。結婚後に夫の転勤でアメリカに行き、その後日本に戻って、2011年から5年間家族でタイに暮らすことになりました。
タイに来たとき子どもは小3と小6で、上の子がインターを希望したのでハローインターナショナル校に入学し、下の娘は日本人学校に通っていたのですが、兄の楽しそうな様子を見て同じ学校に転校しました。
学校にはインターナショナルデーという、それぞれの国の生徒や親が自国の文化や食べ物を紹介する学校行事があって、私はPTAの役員をしていたので日本人の保護者をまとめ、浴衣や書道、茶道などの日本文化の紹介をしました。そういうときにタイや他の国の方から「着物にはどんな種類があるの?」とか「茶道の流派はいくつあるの?」という質問を受け、想像以上に日本文化に興味を持つ人が多いことを知り、それで日本のことをもっと学んでしっかり紹介できるようになりたいと思うようになりました。
日本人会のチャリティーバザーの裏方や、英検ボランティア、青少年サークルの世話役などボランティア活動をやりました。私は元来、誰かのお役に立つのが好きな性分ですし、そういう機会に出会うのはボランティア精神がある方たちで、そんな人たちと繋がって人間関係が広がったことで、バンコク生活が豊かになりました。
他にはタイ料理やフルーツカービング、ムエタイなど様々な習い事をして楽しかったですよ。特にタイ料理は大好きで、今もホームパーティーのときなど友人たちからリクエストされます。
右:バンコク時代、インター校のインターナショナルデーに日本ブースで浴衣や茶道体験を企画
左:新潟の造り酒屋で
造り酒屋で麹の仕込みを体験する人気の酒蔵ツアー
外資系の企業に就職して役員秘書として働くかたわら、タイにいるときから学びたいと思っていた茶道や華道などを習いました。素晴らしい先生方とご縁をいただき、お稽古に通ううちに「最近、あまり若い子たちは来ないのよ」という話を聞くことに。せっかく誇るべき日本文化があっても、それを継承する人が少なくなっていることが、先生方の共通の悩みでした。
ワタシは海外にいたことで日本文化の素晴らしさに気づかされたし、もっといろんな人に知ってもらいたいという気持ちがありました。先生方は本当に素敵な方が多かったので、もし外国の人が来るようになったら、ご近所の人をはじめ若い人たちも興味を持ってくれるのではないかと思い、インバウンドの旅行者が利用するAirbnbエクスペリエンスやトリップアドバイザーなどに、私の語学力を使って代行掲載してはどうかと考えたのです。お稽古も先生も魅力的なのに、言葉の壁と、外国の方がどんなところに興味を持つのかわからないこともあり、先生方にはアピールが難しいのです。
例えば茶道は用意から終わりまでの一連の作業がおもてなしになっていて、お客様がいらっしゃる前に先生はお抹茶がダマにならないようにふるっておき、棗の真ん中にこんもりと盛り、茶室には季節の花や軸ものをしつらえます。見えないところにも美しさがあって、気配りに満ちていて、でも決して声高に主張することはない。そんなところが日本の美であること、それを日本人の心が見えるように丁寧に説明しました。見えないところにある美しさや気配りはやはり言わなければ伝わらないですから。
それに、よくある問い合わせをあらかじめ英語にしたものを作って、お教室での説明なども英訳しておき、先生方に練習してもらい、最初の3~4回は私も参加する外国の方に同行することにしました。何か月かすると先生方の英語力が格段にアップしていてうれしかったです。