きっかけはタイ vol.19
タイから繋がるライフストーリー
エクル直子 さん
◆ブラスバンドサークル指導者
来タイ間もなくからボランティア活動をしている日本人会別館の一般図書館で
サークルは音楽活動を通して
生徒が自信をつけ成長する場。
Q あなたにとってのタイとは?
人生のボーナスステージ
Naoko Eckl
1976年、三重県生まれ。大学卒業後渡仏。仏語学修後現地校日本人生徒に国語を教え、約5年間在住。帰国後中学高校の国語教師として8年間教壇に立つ。結婚を機に退職し中国広州へ帯同。1年後に赴任したバンコクで離婚・再婚。来タイした2014年から日本人会のブラスバンドサークルの指導者を努める。また同年より日本人会別館一般図書館のボランティアとして貸出のシステム化に尽力した。歌謡コーラスやサロン・オ・デュタン音楽部メンバーとして音楽イベントに携わる。
国語教師志望でフランス留学
- 大学卒業後にフランスに留学を?
学生時代から国語の教師を目指していて、教師になりたい気持ちがあったのですが、フランス語をちゃんと勉強してくて語学留学をしました。

卒業後すぐに教員採用試験を受けるのではなくて、もう少ししてからでもいいのではないかと。というのは国語は生きる力に直結する強化で、教える側の人間力や経験が授業に影響すると感じていたからなんです。いろいろな経験をすることは国語教師としてもいいことではないかという思いもありました。
- なぜフランス語を?
小学生のときに読んだアルセーヌ・ルパン全集がすごく好きで、子どもの頃からフランス語に憧れがあったんです。本の中にちょっとだけフランス語が出てきて、そのカタカナのフランス語をノートに書き溜めて、フランス語ノートまで作りました。大学では第二外国語として勉強したのですが、学生時代にフランス旅行に行ったときに全然喋れなくてショックを受けて、語学学校に通ったり他の大学の聴講生になったりして勉強していました。
- 小学生の頃はどんなお子さんだったのですか?
好奇心旺盛なタイプで、興味があるものは全部やろうっていう感じですよね。今もそうですけど(笑)。
上:歌謡コーラスジャズ研究会でライブ参加
右上:日本の教員時代に学校の卒業式で
右下:同校のブラスバンド部員と
音楽を一緒に作り上げる過程を大事にしたい
- 帰国後は?
三重県の教員になり8年間教職について、その後結婚を機に中国に帯同し、1年後の2014年にタイにスライドしました。

バンコクに来て間もなく日本人会でチラシを見て、ブラスバンドサークルの指導者に。小中高大にかけてずっと吹奏楽をやってきて、教員時代は吹奏楽部の顧問をしていたので、その経験を活かしてお手伝いできると考えたのです。

当時は部員も30人以上いて、ステージの上に楽器と人を乗せるのが大変なぐらいでした。学校の楽器を貸し出しているので、その楽器が足りなくて入部希望者はウェイティングという時代でした。

現在の在籍者は9名です。コロナの前から部員が少なくなる傾向にあり、保護者の人数が減るほど世話役の仕事が大変になるんです。そういう理由も重なって少しずつ少なくなっていった印象がありました。部員数を増やすことが今の一番の願いです。
- ブラスバンドサークルはどんな存在ですか?
サークルは音楽活動を通して生徒が自身をつけて成長する場だと考えています。最初はできなかったことが少しずつできるようになっていきますし。でも、単に上手に吹けるようになることだけを目的とはしていないんです。

一人でも音楽は楽しめますが、みんなと合わせるとそれが倍にもなります。一緒に作り上げていく過程を大事にしたいですし、その活動を通して生徒に成長してほしい。音楽はスポーツのように対戦相手がいて勝ったり負けたりというわけではないけれど、でも音楽は自分自身との戦いではないかと思います。その挑戦を実りあるものにするためにどんな取り組みをさせるかを考えるのが指導者ではないかと考えています。楽器の場合はうまい下手があるし、なかなかひと山越えられない子もいます。
- そんな場合はどうするのですか?
指導する立場から見ると、大人はできていないところに目が向いてしまいがちなので、できたことをほめるように心がけています。以前と比べてよくなったところをほめると自身がついて、さらにもっと上手くなりたいというモチベーションにもなるでしょう。上達したかは本人にはわかりにくいこともありますから、今ここができているよと伝えることは大切だと思います。
 
ブラスバンドサークル練習風景
当て書きの楽譜の心
- 楽譜を当て書きしていると聞きました。
はい。メンバーの数が少なくなると演奏できる曲も限られてくるので、苦肉の策で私が編曲を始めたのですが、それをきっかけに生徒のレベルに合わせて書くようにしました。生徒の現時点の力で演奏できる譜面ではなくて、ちょっと苦労しながら練習すれば何ヶ月後にはできるだろうというレベルを想定して、一人一人に当て書きをしているんです。その楽譜を演奏できるようになったときには一歩成長しているという仕組みを考えています。生徒ごとに習熟度が違うので、この子だったらこれがいけるかなと考えながら書くのはとても楽しいですし、練習してやり遂げてくれたときにはすごくうれしいですね。今はやりがいになっています。
- コロナで学校閉鎖の時期はどのように?
コロナ渦中はまったく活動できない時期がありました。オンラインで座学をしたり、時間を15〜20分で区切って、他の指導者の方たちと分担してマンツーマンで指導していました。でもオンラインではみんなと音を合わせることができないのです。一方、座学では楽譜の読み方の講義をしたことによって、こんなことがわかってなかったのかと気づく機会にもなりました。そんな期間があったので、投稿できるようになり、久しぶりにみんなで集まって合奏できたときは感動もひとしおでした。
- 夢は?
実現するかは別として、みんなが気軽に使えるホールがほしいです。いつも演奏会の場所探しには苦労するんです。予算に適って立地もいいところを探すのは難しくて。気兼ねなく音が出せてたくさんのお客さんに来て頂けるホールが日本人会にあったらいいなと夢見ています。
- ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子 写真/エクル直子さん提供
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