きっかけは
タイ
vol.29
タイから繋がるライフストーリー
拍手喝采の経験は、
やれるはずだという自信に繋がる。
Q あなたにとってのタイとは?
もっとやれるだろうと
囁いてくれる場所
Kazuki Yano
1957年熊本県生まれ。立命館大学法学部卒。在学中にタイのカンボジア難民キャンプでボランティアを経験。卒業後、83年に外務省より在タイ日本大使館難民定住調査員として派遣される。86年に帰国後、日本国際ボランティアセンター内のアマチュア劇団「劇団JVC」でパントマイムに出会う。同NGOのスタッフとしてタイの難民キャンプに赴任。退職後、88年よりタイ在住。マイム劇団「ホワイトフェイス」に参加する他、タイ映画「早春譜」「キング・ナレスワン」などに出演。「劇団サザン天都」、「幕座」をタイで旗揚げし演劇活動を行う。著書に『難民キャンプのパントマイム』(めこん)。日本人会の演劇サークルでの指導歴は約30年になる。
難民キャンプ
- タイとの出会いは?
初めてタイに来たのは1980年。学生で夏休みを利用してボランティアに行きました。カンボジア内戦のために膨大な数の難民がタイに流入しており、タイとカンボジアの国境はもう大変な状態になっていました。それで何か手伝おうということで向かいました。
- 難民キャンプに関心を持ったきっかけは?
京都の大学のカンボジア留学生が内戦で国に帰れなくなり、支援活動をしているという記事が新聞に載って、活動に参加したことからです。でもタイに向かったのは難民問題に取り組もうという気持ちからだけではありませんでした。
- ではなぜ?
失恋ですよ。まだ20歳前後、その頃の失恋ってやっぱりしんどいんですよね。カンボジア国境付近では戦闘のある時期でしたから、そういうところで流れ弾に当たるのも悪くないと、そんな破滅願望を抱えて飛行機に乗りました。
3週間ほどでタイから帰ると就職する気はなくなっていて、わざと1年留年して卒業した後も、渡航費用を貯めるためにアルバイトをしていました。経験も知識もない者がボランティアに行っても難民たちに迷惑をかけてしまう。それが分かったので、もう一回行ってまともに活動したいと考えたのです。
だけど、金はなかなか貯まらない。そんな時に外務省からコンタクトがあったのです。タイのインドシナ難民の状況を日本に知らせたり、日本に定住したい難民にインタビューしてビザをおろす仕事をしないかということでした。募集条件は、難民キャンプ行ったことがあって、英語が喋れて、独身男性。応募するとその後特に試験もなく採用され、アジア福祉教育財団難民事業本部嘱託として83年、在タイ日本大使館難民定住調査員になりました。
上・下左:複雑な演技はまだできなかったと矢野さん。しかし難民キャンプの公演は「すごい熱気だった」
パントマイム
- パントマイムはいつから?
タイでの仕事を3年で辞めて日本に戻ってきて、普通に就職しようにも27~28歳では仕事がないという時に、パントマイムと出会いました。日本国際ボランティアセンター(JVC)にアイデアマンがいて、「劇団JVC」を立ち上げた人がいたのです。パントマイムだったら、言葉が通じなくても楽しめます。面白そうなので入れてもらい、テクニックを教えてもらっているうちに、すっかりはまってしまいました。僕にも舞台の上に出番がありそうじゃないかって。
86年中にJVCのスタッフとしてタイに戻り、アランヤプラテートに1年住んで難民キャンプに通い、87年にカオイダン難民キャンプを去る時にはキャンプの中で公演をしました。難民たちの反応は覚えてないですけど、すごい熱気だったことは記憶に残っています。
僕もすごく緊張したのだろうと思います。
タイ・カンボジア国境アランヤプラテートにあったカオイダン難民キャンプの集会所でパントマイムを演ずる矢野さん。1987年10月29日
演劇サークル
- 演劇サークルとの関りは?
日記を見返すと、指導を始めたのは1996年みたいです。来年で30年ですね。
- きっかけは?
当時日本人会は年に一度、朝から夕方まで続く文化祭をやっていて、演劇サークル、大人たちのグループ、そして僕のパントマイムの三本立てがトリでした。それで僕のことを知った人からある時突然電話かかってきて、拉致されたんです。いや、本当にね、拉致されたという感じでした。僕の安アパートの駐車場に高級車がどんとついて、タイシルクのドレスを着たお母様が下りてこられて僕を車に乗せるわけです。そしてどこかのホテルの部屋に連れていかれると、そこにはずらっと30人くらいが座っていた。僕は誕生日席に案内されて「演劇サークルで、こういう台本で芝居をやろうと思うんですけど、矢野さん指導してくれませんか?」と。それで僕は「はい、やります」と。
実はやりたいとは思っていたのです。芝居を見て下手だと思ったから。当時僕は30代で若いし、そういうところってあるじゃないですか。でも怖かったですよ、お母さんたち。みんな年上で、しかも演劇経験者が多かった。日本の子ども演劇の全国組織の幹部だったとか、若い頃スクールメイツで郷ひろみのバックで踊っていたとか、場数を踏んでいる人がたくさんいたんです。
- 30年も指導を続けてこられた原動力は?
1週間に1回サークルで指導すると、その後、すごく疲れているんです。相当緊張してやっていることに気づかされることが多々あります。そこまで一生懸命やるというのは、きっと楽しいからなのでしょうね。大人たちの芝居というのは先が見えるけれど、子どもたちは何をやらかすか分からないところがあって、そういう手があったかと勉強になることがあります。
- サークルではパントマイムも?
劇団に入ると稽古の中に必ずパントマイムのレッスンがあります。実際には何にもないところで架空の壁に触って、その壁は冷たいの? 熱いの? でこぼこしてるの? 周りに明かりはある? とかいろいろな条件を自分の中で作り上げていく。芝居では悲しくもないのに悲しい顔をしなければならないから、自分の中で感覚を作り上げていくという訓練が絶対必要なんです。テクニックは教えませんが、そういうことに気をつけながら演じなさいということは伝えていますね。それを教えるにはパントマイムが一番早いのです。
日本人会の演劇サークルの練習風景。2024年
スポットライトの経験が自信に
- 今後やりたいことは?
子どもたちを見ていると、やはり舞台に立たせたいと思います。公演場所が日本人会の別館しかないのは残念です。
拍手喝采を受けた経験は、人間としていざという時に、自分はまだやれるはずだという自信に繋がります。そういう意味でも子どもの時にスポットライトを浴びることは大事だと思っています。成功体験をなるべく多く経験させたいというのは、サークルを指導している人たち皆が思っていることではないでしょうか。
それに演劇は国語力を養います。台本をちゃんと読めるなら読解力はOK。登場人物の気持ちまで考えることができる読解力が身につきます。それは学校の国語教育では育たない部分です。
- ご自身のことでは?
今年7月には大学生たちがチェンマイで仕掛けてくれます。旅芸人のように地方に足をのばして舞台をやっていきたいですね。
- ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子 写真/矢野かずきさん提供