きっかけはタイ vol.11
タイから繋がるライフストーリー
芦名 柚美子 さん
◆『シフォンケーキをマリアンと』編著者
レシピ集をまとめた柚美子さん
タイでケーキ教室を営んでいた
亡き母マリアンのレシピ集を出版。
Q あなたにとってのタイとは?
私のロールモデルと
一生の財産が誕生した地
Yumiko Ashina
1993年バンコク生まれ。父は日本人、母はペナン島生まれの華人系マレーシア人。バンコクの日系幼稚園、日本人学校に学び、2006年中学受験のために日本に帰国。バンコク滞在中に母親マリアンさんが始めたケーキ教室を幼い頃から手伝い、ケーキ作りを習得。2年前に他界したマリアンさんの遺志を継ぐために勤めていた会社を辞め、2020年、レシピ集『シフォンケーキをマリアンと』を出版。現在シンガポール在住、商社勤務。
―『シフォンケーキをマリアンと』出版の経緯をお聞かせください。
母の遺志を継いで恩返しがしたいと思ったからです。母は華人系マレーシア人なのですが、父のタイ赴任を機にバンコクで日本人を対象としたケーキ教室を開校し、帰国してからは注文を受けてバースデーケーキなどを焼き、友だちや地元の方たちから愛されていました。母は10年ほど前から病を得ていたのですが、持ち前の明るさでそんなことは感じさせませんでしたし、2018年に体調を崩してからも大好きなケーキ作りをしない日はありませんでした。その母が、日本に来てから一度もチャリティー活動をできなかったことが気がかりだと言ったのです。タイでは日本人会のチャリティーバザーに参加して生徒さんたちとシフォンケーキを焼いて販売し寄附していました。シリントーン王女殿下にケーキと寄附金を献上したこともありました。それにケーキで幸せと笑顔を届ける楽しさを拡げたいという思いも母にはあって、シフォンケーキの作り方を書籍にして売上を寄附できればもう思い残すことはないと。
写真①:幼い頃から母マリアンさん(左)のケーキ教室のアシスタントを務めていた。写真②:1999年〜2006年まで毎年日本人会チャリティーバザーに参加。写真③:マリアンさんが週に一度教室で販売するケーキは大人気だった。

 
おそろいの服でケーキ教室のお手伝い(7歳)
―小さい頃から教室のお手伝いをなさっていたそうですね?
5〜6歳からです。小学生のときにはアシスタントをしていました。ですから母と同じケーキを焼けるのは自分しかいないと自負しています(笑)。


―遊びたいさかりですよね?
今振り返れば、母は私を一員として扱ってくれていて、どっちのデザインが良いかなど聞いてくれたり、月謝のお金の枚数を数えるのを任せてもらえていたり、子どもながらもたくさんのことをさせてもらえたので、それが楽しくて手伝っているという感覚はなかったと思います。それに母は褒め上手でしたので、私は恥ずかしがり屋でしたが生徒さんの前で褒めてもらえるとそれが嬉しかったり。
会社を辞めて本作りに専念
 
母が亡くなってしばらくは、何も手につかなくて気がつくと涙を流しているような状態でした。母の遺志を継ぎたいと本作りを始めたのですが、会社に勤めていたので、仕事を終えて家に帰ってきてからケーキを焼いて写真を撮ってという作業をすると真夜中に。こんなことでは完成できないと思い、退職して本作りに専念することにしました。キャリアを中断することには悩みましたが、「後悔したら最後、後戻りできない。大切だと思う方を優先すれば人生なんとかなる」と夫と友人が背中を押してくれて決断し、1年でやり通そうと決意しました。
写真①:『シフォンケーキをマリアンと』。亡き母マリアンさんのレシピとコツを日英2カ国語で併記。写真②③:マリアンさんのレシピのシフォンケーキ。
―すべて一人で?
はい。文章も写真も自分で。デザインは友人のデザイナーにお願いしました。
母が残したメモには定番・季節・行事を網羅した40のシフォンがあったのですが、ページ数の制約もあって選択しなくてはならなくて迷いました。バニラシフォンや一番人気だったアールグレイシフォンなど定番は決まっていたのですが、母はマレーシア出身ですしバンコクで教室をやっていたので東南アジアの要素を入れたい。そこで材料の入手しやすさを考えてココナッツシフォンを選びました。日本に来てからストライプ模様に焼き上げる進化版を考案したのでそれも入れたい、そんなふうに考えて23のレシピになりました。
すべてのレシピを5回以上は練習しています。材料を混ぜる工程は小さい頃からやってきたので問題ないのですが、型はずしとラッピングは実際にやってみると母と同じレベルにできず何度も練習しました。それにピューレなどを使うレシピは材料が重く、混ぜる加減が難しいのです。シフォンはちょっとしたことで膨らみに影響がでるので、練習し始めの頃はつまずきましたが、何度も練習を重ねる内に上手くできるようになりとても嬉しかったです。
母がいないことに向き合う
 
作ったケーキは常連さんに差し上げて、母のケーキと少しでも違ったら教えてとお願いしました。本を出版するからには自分も完璧にできる状態ではないと母の名を傷つけることになりますから。
―大変な作業でしたね。
本作りはとても辛かったです。本当はやりたくなかった。母がいないことに向き合うことでしたから。ずっと母の使っていたケーキの道具に触れることができなくて、久しぶりに触ったら壊れてしまって、道具も母が恋しいのかと。でも泣いていたら進まない。ミッションは母の世界観を壊さないこと。母が伝えたかったことを伝えること。相反する感情をコントロールしながら取り組み、出来上がった本を手にしたときには表現できないほど複雑な感情が交錯し圧倒されました。母は2017年頃からインスタグラムに写真をアップして1年半で3万人の方にフォローしていただいていました。突然投稿がなくなり心配してくださったフォロワーの方たちに、2019年末までにレシピ集を出しますと約束したのでプレッシャーも大きくて。遅れましたが退職したちょうど1年後の昨年6月に刷り上がりました。
販売はどのように?
ネットで注文を受けて発送しています。1000部刷って半分が売れたところです。日英2カ国語表記で価格は1冊1800円です。売上は全額寄附します。
これからは?
今は夫の国シンガポールに暮らし始めて、就職して忙しくしていますが、これからも大事な母のケーキを焼き続けいつか母のようにケーキの販売やはたまたカフェをやるのも楽しそうと夫と話しています。私も母と同じく生まれた国を離れて海外に暮らしています。母のように、新しい場所で自分を活かせるコミュニティーを作っていきたい。母をロールモデルに力強く歩んでいきたいと思います。
―ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子
写真/芦名柚美子さん提供
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