きっかけはタイ vol.7
タイから繋がるライフストーリー
水野 怜皇 さん
◆バレエダンサー
撮影/三浦丈明
心が折れた僕を支えてくれたバンコク
Q あなたにとってのタイとは?
Home away from home
心のふるさとです
Reo Mizuno
1997年埼玉県生まれ。2歳の時に父親の赴任に伴い来タイ。3歳からバンコクでバレエを始めBangkok City Ballet, Aree School of Dance Arts等で学ぶ。2010年、奨学金を得て米国のBoston Ballet Schoolで夏期講習受講。2012年、カナダのCanada’s National Ballet Schoolの講習後、難関の同校に合格。2016年に卒業後、専門課程で学ぶ。2018年、シンガポールのSingapore Dance Theatreに入団。


バンコクでバレエに出会う
ー バレエは何歳から?
3歳です。母が言うには、同じ幼稚園の女の子のバレエの発表会に誘われて見に行き、自分も踊りたいと言ったらしい。ものごころついた時には踊っていて、バレエは僕にとって楽しいものでした。幼い頃はバレエスクールに週に3回、小学校高学年から中学の頃はほぼ毎日でした。プライベートレッスンも受けていてその先生に勧められて、1日に2レッスンとっていたこともあります。いつものレッスンに加えてレベルが上のクラスをとったり、他の先生のクラスに参加したり。1レッスンは1時間半です。

ー 何か他に熱中したことは?

中学1年の時、バスケを平行してやっていて、気持ちがそっちのほうに向いて、もうバレエはいいかなという時期もありました。でも先生からも親からもプレッシャーがあって、やはりバレエを選んでいた。練習は嫌いじゃなかったですし。
写真①:初めての発表会(5歳) 写真②:「ピノキオ」 の舞台で主役に(8歳) 写真③:劇団サザン天都「GamBa ガンバ ~冒険者たち~」で博士役(11歳) 写真④:American Ballet Theatreの夏期講習でのパフォーマンス(13歳)
留学で知った自分の力
ー その時バレエを選んだ理由は何か他にも?
アメリカのボストンバレエスクールに短期留学したことですね。毎日、トレーニングをしてから女子と組んでパ・ド・ドゥ、男子だけの筋力トレーニング、コンテンポラリーダンスなど様々なレッスンがあって、1日中バレエしかやらない。4〜5週間だったのですが、すごく刺激になりました。一番の収穫は「自分はこんなにできないんだ」と思い知らされたことです。タイではどこのスクールでも、クラスに男子は僕ひとりで、比べる対象がいませんでした。ボストンでは男子が30人。自分よりうまい人がたくさんいたことから、バレエをもっとやりたいと思うようになったのです。2年連続でアメリカに短期留学して、中3の時は、カナダ国立バレエスクールの夏期講習を受講するテストにパスしてカナダに行きました。
ー 夏期講習にも試験が?
そうです。受講者は世界各地から集まります。夏期講習は普通、フルタイムの受講生として入学したい人のための進学クラスがあるものですが、カナダ国立バレエスクールではそういった区別がなく、全員が進学希望者として評価されていました。それを知ってからは本気で頑張って、終了間近に先生に「9月から来てください」と言われ、合格しました。
ー 倍率はどのくらいですか?
夏期講習受講のためのオーディションを受けた人が2000人くらい、そのうち受講生になれたのが300人、その中でフルタイムの生徒として合格したのは女子14人、男子4人でした。
ー 超難関! 学校はどんなカリキュラムなのですか?
期間は4年で、授業は朝8時15分から夕方6時半まで。1〜2年は午前中に数学などの一般科目が2コマとバレエ、午後も一般科目とバレエです。3〜4年になると午前に一般科目、午後はすべてバレエでした。土曜日はトレーニングです。修了するとカナダの高校卒業資格を得ることができます。 高校修了後、プロ養成のための専門課程に進んだのですが、そこは朝10時から6時半までバレエのトレーニングとレッスンです。2018年にSingapore Dance Theatreに入団してプロのダンサーになったわけですが、比べると学校時代の方が10倍くらい大変で、毎日緊張して授業を受けていました。
辛いのは精神面
ー 脱落する生徒もいますか?
身体の故障でバレエを続けられなくなる人もいるし、上達の速度が他の人より遅いと感じてやめる人もいる。バレエが嫌になってしまう人もいます。バレエダンサーは絶えずケガや故障と隣り合わせで、休めばおいていかれるし、いい役がとれなくなるから、筋や筋肉の多少の痛みは我慢してやり続けます。でも治療のために休まなければならなくなった時、本当に辛いのは身体ではなく精神面です。

 
写真⑤:「白鳥の湖」より。バンコクで行われた発表会にゲスト出演 撮影/ムシカシントーン小河修子 
写真⑥:
「海賊のバリエーション」より。2019年7月21日、小中学時代に通ったバンコクのAree School of Dance Artsの発表会にゲスト出演した際の舞台
ー 怜皇さんが辛かったのは?

専門課程の時です。在学中にバレエ団のオーディションを受けて就職活動することが義務づけられていて、出願書類とビデオを送って申し込むのですが、欧米のバレエ団はたいてい男性の身長は180センチ以上という規程があり、175センチの僕は書類審査さえ通らない。ヨーロッパの30ヵ所のバレエ団に応募してオーディションを受けることができたのは十数カ所。しかも全部落ちました。カナダに戻ってきた時には、落ち込んで何もしたくなかった。これからどうしていいかもわからない。それで学校に休みをもらってタイに帰ってきました。僕が立ち直ることができたのは、バンコクで周りの人のサポートがあったから。バレエの先生や友達、そして両親が支えになってくれました。バレエをやめざる得なかった友達にも励まされました。「なぜここであきらめるの」「できるのにもったいないじゃない」と。
ー 怜皇さんにとってバレエの魅力とは?
公演の稽古を始める時はいつも、とてもできないと思うのですが、練習を積み重ねることによってできるようになっていく。その成果を舞台で表現できた時の達成感と喜びはかけがえのないものです。とても言葉では言い表せません。
ー 舞台といえばお芝居もなさっていたのですね。
小中学生の時、サザン天都という劇団で。読んで覚えることが苦手で台詞を覚えるのが苦手、身体で覚える方が僕には合っています。それに母が劇団をやっていたから、家に帰ってからダメ出しされて練習、それがイヤでした。だからバレエの方に行ったのかな(笑)。
ー 今後やってみたいことは?
カナダのバレエ学校時代にやった「COME IN」という作品をまた踊りたいです。男性だけのバレエ作品は多くありませんが、僕たちは男性ダンサーだけの演出で公演し、大きな反響をいただきました。それと、よりレベルの高いバレエ団に挑戦してみたいです。再度ヨーロッパを視野に入れて研鑽します。
ー ありがとうございました。
取材・文/ムシカシントーン小河修子
クレジットのない写真は水野怜皇さん提供
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